work / Alternate Possibilities and Moral Responsibility
代替可能性と道徳的責任
フランクファートが別様可能性の原理を批判した論文。
まず知っておきたい要点
- composition_year 1969
- publication_year 1969
- language 英語
- authors ph-person-frankfurt
初心者向け解説
現代の責任論を学ぶための短い原典案内。
詳細解説
## 背景 「代替可能性と道徳的責任」は、アメリカの哲学者ハリー・G・フランクファートが、自由意志と道徳的責任の関係をめぐって提示した議論として知られている。そこで問題にされるのは、ある行為について人を道徳的に責めたり称賛したりするためには、その人が実際とは異なる行為をすることが可能でなければならないのか、という問いである。 この問題は、自由意志論において古くから重要だった。たとえば、ある人の行為が過去の出来事と自然法則によって完全に決まっていたとする。その人には、実際に行ったこととは別のことをする可能性がなかったように思える。もし「他のこともできた」という能力が責任の必要条件なら、決定論が正しい場合には道徳的責任そのものが脅かされることになる。 こうした考えを表すものとしてしばしば挙げられるのが、「他のように行為することができた場合にのみ、その人は自分の行為について道徳的に責任を負う」という原理である。英語では Principle of Alternative Possibilities と呼ばれ、日本語では「代替可能性原理」や「別様行為可能性の原理」などと表現される。以下では便宜上、PAPと略す。 フランクファートの重要性は、決定論が正しいかどうかを直接論じるのではなく、そもそもPAPが道徳的責任の必要条件なのかを問い直した点にある。もしPAPが誤っているなら、「他のことができなかった」という事実だけから責任が存在しないとは結論できない。そのため彼の議論は、その後の自由意志論の論争構造そのものを変えることになった。 ## 構成 フランクファートの議論は、まずPAPがもっともらしく見える理由を検討し、その後、ある人が他のように行為できなかったにもかかわらず責任を負うように見える事例を構成する、という形で進む。 PAPが説得力をもつ背景には、強制の事例がある。たとえば、ある人が重大な脅迫を受け、それ以外の選択肢を事実上奪われた状態で行為したなら、通常の場合より責任が軽くなる、あるいは責任を負わないと判断されることがある。そこから、「責任があるためには別の選択肢が必要なのだ」と考えたくなる。 しかしフランクファートは、強制が責任を免除する理由を単純に「他のことができなかったから」と考えるべきではないとする。重要なのは、行為者がどのような理由や動機によって実際に行為したのかである。外部からの圧力が存在していても、その圧力とは無関係に本人が同じ行為を自発的に選んだのであれば、外的要因が存在したという事実だけで責任が消えるとは限らない。 この発想を極端な形にしたものが、後に「フランクファート型事例」と呼ばれる一連の思考実験である。 典型的な説明では、ジョーンズという人物と、彼にある行為をさせたいブラックという人物が登場する。ブラックは、ジョーンズが自分の望む行為をしそうなら何もしない。しかしジョーンズが別の選択をしようとすれば、ブラックは何らかの方法で介入し、必ず目的の行為をさせることができる。 ところが実際には、ジョーンズはブラックの存在や計画とは無関係に、自分自身の理由からその行為を選択する。ブラックは介入する必要がなく、何も行わない。それでも、もしジョーンズが別の行為を選ぼうとしたならブラックが阻止していたため、ジョーンズには最終的に別の行為を実現する可能性がなかったとされる。 この事例で直観的に重要なのは、ブラックの存在がジョーンズの実際の意思決定を生み出していないことである。ジョーンズは自分自身の理由によって行為したように見える。したがって、彼に責任を帰属できるように思われる。それにもかかわらず、彼には最終的に「他のようにする」可能性がなかった。この二点を両立させることによって、PAPに反例を提示しようとするのが議論の基本構造である。 ## 中心問題 中心となる問いは、「道徳的責任にとって本当に重要なのは、選択肢の数なのか、それとも行為がどのように本人から生じたかということなのか」である。 PAPを支持する立場では、行為者に責任を帰属するためには、「Aをしたが、Bをすることもできた」という意味での開かれた選択肢が必要だと考える。悪い行為を避けることがまったく不可能だった者を非難するのは不公平ではないか、という直観がその背景にある。 フランクファート型事例は、この直観を二つの問題へ分解する。第一は、行為者に別の可能性が存在したかという問題である。第二は、その行為が本人の判断、欲求、理由などから生じたかという問題である。 ジョーンズには別の結果を実現する可能性がなかったとしても、彼が実際に行為した過程にはブラックの介入がない。もし彼の動機が悪意や利己心であり、それによって自発的に行為したのであれば、責任判断において重要なのはその動機と意思決定過程ではないか、とフランクファートの議論は示唆する。 ここから自由意志論の焦点は、「別のことができたか」という代替可能性だけではなく、「実際の行為がどのような仕方で行為者から生じたのか」という問題へ移っていく。 ## 主張 フランクファートの主要な主張は、PAPが一般的な形では正しくないというものである。他のように行為することができなかった人物であっても、その人物が実際に行ったことについて道徳的責任を負いうる。 ただし、この主張を「選択肢は責任にまったく関係しない」と理解するのは適切ではない。実際の強制、脅迫、操作、精神的能力の欠如などが責任判断に影響する可能性まで否定されるわけではない。問題なのは、責任の欠如をすべて「他の行為が不可能だった」という一点によって説明できるのかということである。 フランクファート型事例では、行為者が別の行為をしようとした場合にのみ介入する装置や人物が設定される。この仕組みは、実際の行為過程では活動しない。そのため、ジョーンズがその行為をした理由を説明するとき、ブラックの介入能力を挙げる必要はない。 この点から、責任について「実際に起こった因果的・心理的過程」と、「起こらなかった場合に備えて存在していた代替的な可能性」を区別する必要が生じる。責任が実際の意思決定過程に依存するなら、実現しなかった別の可能性が封じられていたことだけでは責任は消えない。 この議論は決定論そのものが正しいと証明するものではない。また、決定論と自由意志が完全に両立すると直接証明するものでもない。しかし、決定論から責任否定へ向かう一つの重要な論証、すなわち「決定論なら別様行為は不可能である。責任には別様行為可能性が必要である。したがって決定論なら責任はない」という推論の第二前提を攻撃することになる。 ## 重要概念 ### 代替可能性原理 PAPは、道徳的責任には「他のように行為できたこと」が必要だとする原理である。問題は、「できた」という表現をどのような意味で理解するかにもある。物理的可能性、能力、機会、条件付きの可能性など、別様行為可能性には複数の分析が存在するため、原理の正確な内容については議論がある。 ### フランクファート型事例 行為者が実際には自分自身の理由から行為する一方、別の選択をしようとした場合には第三者や装置が介入してその選択を阻止する、という構造をもつ思考実験である。 重要なのは、実際の経路と反事実的な経路の違いである。実際の経路では介入者は何もしない。反事実的な経路でのみ介入が起こる。そのため、代替可能性を取り除きつつ、実際の意思決定の自発性を保存しようとする。 ### 実際系列と代替系列 後の議論では、責任を理解するとき、実際に行為へ至った過程を重視する考え方と、行為者が利用できた代替的可能性を重視する考え方との対立が明確になった。 この違いは「自由とは選択肢をもつことなのか、それとも適切な仕方で自分の行為を統制することなのか」という、より広い問題につながる。 ### 源泉性 フランクファート以後の自由意志論では、代替可能性とは別に、行為者が行為の適切な「源泉」であることを重視する議論が発展した。現在では、代替的選択肢を重視する考え方と、行為の源泉や統制を重視する考え方を区別して論じることが多い。 ただし、「源泉性」という後代の理論的枠組みを、そのままフランクファート自身の完成された立場として扱うべきではない。彼の反例が開いた問題領域を、その後の哲学者たちが異なる方向へ発展させたと理解する方が正確である。 ## 受容 フランクファートの議論は、自由意志と責任をめぐる現代哲学で非常に大きな影響を与えた。一方で、PAPが完全に反証されたかについては現在まで議論が続いている。 代表的な反論の一つは、「フランクファート型事例にも、ごく小さな代替可能性が残っているのではないか」というものである。ブラックがジョーンズの意思を察知して介入するには、何らかの兆候が必要になる。その兆候を示すか示さないかという段階に、なお別の可能性が残るのではないか。この種の可能性は、後の論争で「自由のちらつき」と呼ばれることがある。 これに対し、フランクファート型事例を擁護する側は、そのような微小な違いが道徳的責任を支えるほど重要な選択肢なのかを問い返す。単に何らかの代替状態が存在するだけではなく、責任に関連する十分に意味のある選択肢でなければならないというわけである。 また、フランクファート型事例を成立させるためには、ブラックが介入すべき時点を確実に判断できなければならないという問題も指摘されてきた。介入の兆候が行為を決定するほど確実なものであれば、それ自体が決定論的な前提を密かに導入しているのではないか。他方、兆候が決定的でなければ、介入を逃れて別の行為をする可能性が残るのではないか。この論点をめぐって、多数の修正版フランクファート事例が提案されてきた。 さらに重要なのは、議論の結果として、自由意志論が単純な「決定論か自由か」という二択から離れたことである。現在の議論では、代替可能性、自己統制、理由への応答性、行為の源泉、操作や強制の有無など、複数の条件を分けて検討することが一般的になっている。 したがって「代替可能性と道徳的責任」の意義は、PAPに対する一つの反例を提示したことだけではない。道徳的責任を考える際に、「行為者に他の選択肢があったか」という問いと、「実際の行為がどのような仕方でその人自身から生じたか」という問いを切り離した点にある。 人を責任ある主体として扱うために必要なのは、開かれた未来なのか、それとも自分の理由や判断に基づいて行為する一定の統制なのか。フランクファートが提起した問題は、この二つが同じものではない可能性を示した。そのため彼の議論は、自由意志と道徳的責任の関係を考えるうえで、現在も重要な出発点となっている。
専門的論点・解釈上の注意
フランクファート型事例への応答を併読するとよい。
関連する問い・人物・概念・著作等
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- 関連元 ハリー・フランクファート
原典・参考文献
- academic_paper Harry Frankfurt, Journal of Philosophy 66 (1969)
公開・改訂情報
公開: 2026-08-18 / 改訂: 2026-08-18T07:26:29.078Z (production body integrated from accepted generator record)