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person / Harry Frankfurt

ハリー・フランクファート

別様可能性と道徳的責任の関係を再検討した現代哲学者。

まず知っておきたい要点

初心者向け解説

フランクファートは、別様に行為できたことが責任の必要条件かを問う思考実験で知られる。

詳細解説

## 問題意識――自由とは「別の行為ができたこと」なのか ハリー・フランクファートは、20世紀後半の英語圏哲学で、自由意志、人格、道徳的責任、欲求、愛や配慮といった問題を論じた哲学者である。とりわけ大きな影響を与えたのは、「人が自由であるとはどういうことか」と「人が行為について道徳的責任を負うのはどのような場合か」という二つの問いである。 自由意志をめぐる議論では、しばしば「その人は別のこともできたのか」が重視される。たとえば、ある人が自分の意思で約束を破ったとしても、もしその行為が完全に避けられなかったなら、本当に責任を問えるのか。この発想から、道徳的責任には「他の仕方で行為できた可能性」が必要だと考えられてきた。 フランクファートは、この前提そのものを問い直した。彼の狙いは、単に「人間には自由意志がある」と証明することではない。むしろ、自由や責任について私たちが何を本当に重要だと考えているのかを、思考実験や欲求の分析によって切り分けることにあった。 さらに彼は、自由を外部からの強制がないことだけで説明しなかった。人間はさまざまな欲求を持つが、それらの欲求をすべて同じように自分の意思として受け入れているわけではない。「何かをしたい」という欲求だけでなく、「どの欲求によって自分が動かされたいのか」という態度まで考える必要がある。ここから、人格とはどのような存在なのかという問題へ議論が広がっていく。 ## 概念・著作――責任、二階の意欲、配慮 ### フランクファート型事例 1969年の論文「Alternate Possibilities and Moral Responsibility」で、フランクファートは、道徳的責任には他行為可能性が必要だという原理に疑問を投げかけた。この論文から発展した思考実験は、後に「フランクファート型事例」と呼ばれるようになった。 典型的な構造は次のようなものである。ある人物が、自分自身の理由と意思によって行為Aを選ぼうとしている。しかし背後には介入者がおり、もしその人物がA以外を選ぼうとすれば、何らかの方法で必ずAを選ばせる準備をしている。ところが実際には本人が自発的にAを選んだので、介入者は何もしなかった。 この場合、その人物には事実上A以外を行う余地がなかったように見える。それでも、実際の行為は介入者によって引き起こされたのではなく、本人自身の理由から生じている。フランクファートは、このような場合には本人に責任があると判断できるのではないかと論じた。 ここで重要なのは、「別のことができたか」よりも「実際にその行為を生み出したものは何だったか」に注目が移る点である。後の自由意志論では、他行為可能性を重視する立場と、行為の実際の因果的・心理的な成り立ちを重視する立場との論争が大きく発展した。 ### 一階の欲求と二階の欲求 1971年の論文「Freedom of the Will and the Concept of a Person」では、自由意志と人格について別の角度から分析した。 人間には、「食べたい」「眠りたい」「酒を飲みたい」といった、一階の欲求がある。しかし人間は、それらの欲求をただ持つだけではない。「酒を飲みたいという欲求を持ちたくない」「勉強したいという欲求のほうに自分を動かしてほしい」というように、自分自身の欲求について欲求することがある。これが二階の欲求である。 そのなかでも特に重要なのが、どの一階の欲求を自分の意思として有効にしたいかという態度である。フランクファートはこれを「二階の意欲(second-order volition)」として区別した。 たとえば依存状態にある人物が薬物を強く欲しているとしても、その人物自身が「この欲求によって行動したくない」と願っている場合がある。実際に行為を動かした欲求と、本人が自分の意思として認めたい欲求とがずれているのである。 この分析によって、自由は単純な「好きなことができる状態」ではなくなる。問題になるのは、自分を実際に動かしている意思が、自分が意思として持ちたいものとどのような関係にあるかである。 ### 「人格」と無頓着な行為者 フランクファートはこの議論のなかで、自分の欲求のどれが自分の意思になるかを問題にしない存在を「wanton」と呼んだ。日本語では「放恣な者」「無頓着な者」などさまざまに訳されるため、訳語だけから意味を判断すると誤解しやすい。 ここで言われているのは、乱暴な人物や享楽的な人物という意味ではない。ある欲求が行為を引き起こしても、「私はこの欲求によって行動する人間でありたいのか」という二階の態度を持たない存在である。 したがってフランクファートにとって人格の問題は、単に知能が高いか、合理的に計算できるかではない。自分自身の動機に対して態度を取り、どの欲求を自らの意思として受け入れるかが重要になる。 ### 配慮、重要性、愛 フランクファートの哲学は自由意志論だけに限られない。論文集『The Importance of What We Care About』や『The Reasons of Love』などでは、人間にとって何かを大切にすること、配慮すること、愛することがどのような意味を持つのかを論じた。 私たちは常に、純粋な推論によって一から目的を選んでいるわけではない。ある人、活動、計画、価値をすでに大切にしているからこそ、それに基づいて理由が生まれ、選択が方向づけられる。フランクファートの後期の議論では、自由とは制約が一切ないことではなく、自分が深く気にかけるものによって意思が形づくられることとも結びついていく。 愛についても、単なる感情として扱うのではなく、何を重要とし、何のために行動するかを規定する意志的な構造として考察している。 また一般読者にも広く知られた著作に『On Bullshit』がある。そこで扱われる「bullshit」は単なる嘘とは異なる。嘘をつく人は少なくとも真実が何かを意識し、それを隠そうとする。それに対してフランクファートが問題にするのは、発言が真実かどうか自体に十分な関心を払わず、聞き手に特定の印象を与えることを優先する態度である。この議論も、彼の哲学に繰り返し現れる「何を気にかけているのか」という問題と無関係ではない。 ## 影響――自由意志論から自己理解の哲学へ フランクファートの最も直接的な影響は、道徳的責任と他行為可能性をめぐる議論にある。フランクファート型事例以後、「責任を負うためには本当に別のことができなければならないのか」は、自由意志論の中心的論点の一つとなった。 もっとも、彼の思考実験が他行為可能性を完全に否定することに成功しているかについては論争が続いている。介入者が本人の決断を事前に察知するには何らかの兆候が必要であり、その兆候が現れる段階ではまだ別の可能性が残っているのではないか、という反論などが提出されてきた。そのため、フランクファート型事例の評価には現在でも複数の立場がある。 一階・二階の欲求を用いた分析も、自己統制、自律性、依存、人格といった問題に大きな影響を与えた。後世の研究では、こうした考え方が「欲求の階層説」や「階層的モデル」と整理されることがある。ただし、こうした分類名をそのままフランクファート本人が完成された学説名として提示したものとみなすべきではない。 また、自由意志論の文献ではフランクファートが両立論的な議論の重要人物として位置づけられることが多い。とはいえ、彼の個々の議論を単に「決定論と自由意志は両立する」という一文に還元すると、その独自性が見えなくなる。彼が繰り返し問うたのは、決定論が真か偽かだけではなく、人間が自分自身の動機とどのように関係し、それを自分のものとして引き受けるとは何を意味するかという問題だった。 ## よくある誤解 第一の誤解は、「フランクファートは、人間には選択肢がなくても常に責任があると主張した」という理解である。彼の議論は、選択肢の欠如そのものが責任を生むという話ではない。問題は、別の可能性が存在しなくても、実際の行為が本人自身の意思や理由から生じた場合には責任が成立しうるのではないか、という点にある。 第二の誤解は、「二階の欲求があれば、それは必ず本人の本当の自己を表す」という理解である。二階の欲求もまた人間の心理の一部であり、なぜそれを特権的に扱えるのかという問題は残る。この点は後の研究者から繰り返し批判され、フランクファート自身の議論も、単純に欲求を二層に分ければ自己の問題が解決するというものではない。 第三の誤解は、「自由とは欲望を抑えることだ」という理解である。フランクファートが問題にするのは禁欲ではない。ある人が強い欲求に従って行動していても、その欲求を自らの意思として受け入れているなら、それだけで不自由だとは言えない。逆に、外から何も妨害されていなくても、自分が拒否している欲求に支配されているなら、意思の自由について問題が生じる。 第四の誤解は、『On Bullshit』だけを見て、フランクファートを言語批評や社会風刺を主とする思想家だと捉えることである。この著作は確かに広く読まれたが、彼の哲学全体の中心には、自由、意思、人格、配慮、愛、そして何が人間にとって重要なのかという連続した問題群がある。 フランクファートの哲学を理解する鍵は、「いくつの選択肢を持っているか」だけで自由を測らないことにある。人間は何を欲し、その欲求をどう評価し、何によって自分を動かされたいと思い、何を大切にして生きるのか。彼の仕事は、自由意志の問題をこうした自己との関係の問題へと組み替えた点に、その重要性がある。

専門的論点・解釈上の注意

フランクファート型事例の成功は今も論争的である。

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原典・参考文献

公開・改訂情報

公開: 2026-08-18 / 改訂: 2026-08-18T07:26:29.078Z (production body integrated from accepted generator record)